被爆者援護法の制定は、今日まであらゆる角度から論議が行われてきました。したがって、ここで多くを語るつもりはありませんが、去る8月の
平和宣言では、
本島市長は「直ちに
被爆者援護法の制定を」と訴えられました。しかし、
村山総理のあいさつでは、結局、
被爆者援護法の言葉さえ出てこなかったのが現実であります。被爆50周年に向けて市長は、どのような決意で臨まれようと考えておるのか、見解をお聞かせください。
次に、水道行政について質問いたします。
今夏の異常な渇水は、全国各地に深刻な
生活用水不足をもたらし、多くの都市が断水や
給水制限を余儀なくされています。本市の場合、8月29日現在、水道局の発表では、貯水率は56.9%、貯水量957万6,000トンとなっています。今日では、数字が少し動いていると思いますが、断水や
給水制限に直面している他都市に比較いたしますと、一応安定供給となっていますが、通常の秋の降雨量を想定すると、必ずしも安閑としておれない状況にあると判断をされます。
そこで、
本市水道局は、長期化が想定される渇水にどのような対策を計画、実施されているのか、ご答弁をいただきたいと思います。
次に、
水源開発と水の供給にかかわって、記録的な異常渇水のこの時期にいま一度、水問題を真剣に考えて教訓にすべきこともまた重要な課題であります。
長崎市の場合は、水源に供する河川が少ない。また、地下水にも恵まれない環境にあることから、人口の伸び、産業の発達、都市の近代化など水需要の増大に伴い7回にわたる
拡張事業を実施してまいりました。遠く神浦、雪浦、萱瀬と遠隔地に水源を求め、12の貯水池にほとんどの水を求める、いわば完全にダム中心の
水源開発になっています。この傾向は、全国的なものであり、今深刻な水不足に悩んでいる四国・
瀬戸内地方もその例に漏れません。もちろん私は、
水資源確保としてのダムをすべて否定するつもりはありません。しかし、全体としてダムの建設は、その河川に新しい水利権を設定し、その新水利権を保障するために建設されるものであって、渇水時を想定して、このための水を蓄えておく。こういった建設は、ほとんどないのが実情であります。ここから生まれてきているものは、建設費の償還の意味もあり、
水利権水量の完全消化が中心になっています。渇水時を想定してダムに水を蓄えておく。このような仕組みにはほとんどなっていないわけであります。
一面において、ダム建設は、身近な在来の
自己水源を放棄したり縮小したり、また地方においては、水の
リサイクル利用をはばむ結果さえ生まれているところもあります。私は、水資源を考える場合、長期的、構造的な視点に注目をしながら、日本全体が直面している水問題から教訓をくみ取る必要があると痛感をいたします。
そこで、水道局長の見解を賜りたいと思います。
1つ、
長期的視野に立った場合、手近な
中小水源の活用あるいは新たな開発、一部の家庭にある水源の復活などにも力を入れる必要があると思いますが、どのようにお考えでしょうか。
2つに、新たな
大型団地等の開発については、
中水道対策などを検討する時期にきていると判断いたしますが、以上、見解をお聞かせください。
次に、
干ばつ被害対策について質問をいたします。
日照り続きでの
干ばつ被害は、全国的に深刻な実態にありますが、本市の農業も例外ではありません。
水産農林部の話では、既に1億数千万円の被害額になっていますが、このまま日照りが続くと被害額は急速にふえることになると指摘をされています。
日本共産党市議団は、去る8月、
市内数カ所の農作物の
被害実態の調査を行い、農家の方々の切実な声を聞かせていただきました。露地菊を栽培している農家では「通常は盆前にほとんどすべて出荷をする。昨年はこの畑でちょうど100万円程度の出荷であったが、ことしは盆前にはほとんど出荷できず、花が咲かない」と嘆いておられました。朝晩、毎日水を運んでいるとの話でありますが、菊の下の方の葉は黄色くなり、なるほど花はほとんどついていません。また、ネギや大根をつくっていた農家の方は「ほとんど全滅です」と語り、勢いのないネギの緑の部分を残して、黄色く枯れた部分を取り除いておられました。「このまま続くと秋野菜の植えつけもできない」と話をしておられました。
農業従事者の高齢化が指摘されていますが、お年寄りの方々がポリバケツで水を運んでいる姿、水の全くない貯水槽、農家が必死に守り抜いている一部の緑の部分だけが印象的でした。農家の方々が対話の中で訴えられたことは、例えば共同で
ボーリングをするにしても、もっと大幅な援助がほしい。また、これも水が出なければ結局援助はない。貯水槽がある所には、共同で利用する水としての送水の援助ができないものか。河川等の枯渇で水が確保できない地域には、消防車であってもいい、あるいは
バキューム車での援助ができないものかどうか、こういう点であります。
以上、農家の方々の意見を申し上げて質問をいたします。
1つ、
干ばつ被害の今日の状況と諸対策はどのようになっているのか。
2つ、
農業用水の確保に対して、支援体制はできないものかどうか、ご答弁をいただきたいと思います。
最後に、
アーバン構想における用地の活用問題について質問をいたします。
アーバン構想は、長崎の経済の活性化、快適な
都市環境の整備を目的として、活力・魅力に満ちた都市として再生することが基本として提唱されたものであります。特に、
先行実施地区の
元船地区、常盤・
出島地区、
尾上地区は、長崎の港に位置するところから景観上の諸問題、
埋め立て地域では、
埋め立てそのものはもちろん施設の
整備内容等を含めて慎重な態度を求めてまいりました。私は、今日時点においても、なお再検討が必要であると考えています。
1つは、構想当時の経済・
社会情勢等と現在ではかなりの違いがあること。常盤・
出島地区における大手資本の
ホテル誘致等は
経済活性化にはならないと判断するからであります。
2つ目に、計画を事業化する場合の検討の弱さであります。例えば
元船地区の場合、
埋め立て完成時に倉庫群の移転を検討する。その余地に集客能力のある施設として検討されているが、いまだに結論的な話も出ておりません。
3つ目に、今回、魚市跡地の
利用計画の策定の話が出ていますが、これらの用地は一体のものとして、どの部分にどのような施設を建設するのか、
事業目的にあわせて整合性を持たせ、事前に結論を導き出しておくべきだと判断をいたしますが、いかがでしょうか。市長の見解をお聞かせください。
以上、壇上からの質問を終わります。=(降壇)=
3 ◯副議長(重橋照久君) 市長。
〔本島 等君登壇〕
4 ◯市長(本島 等君) 中田 剛議員にお答えをいたします。
ご承知のとおり、
核兵器廃絶への道、その諸課題の問題ですが、今お話がありましたように、
国際世論は、概して核軍縮の方向に進んでいるというふうな見方が大きいわけでありますが、私もそういうことに楽観を許されないときではないかと思っております。しかも、どの
国際会議においても、核軍縮のことはいろいろ論議されますけれども、
核兵器廃絶、今日的には、
核兵器全面禁止条約の締結という言葉はほとんど聞かれません。かつて、ヨーロッパを中心に盛り上がった
核兵器廃絶運動の熱意が薄れているように思います。しかしながら、現実の社会を見ますと、2003年までに
アメリカとロシアによる
戦略核兵器の削減が実現しても人類を何度も抹殺するに足る核兵器が残されることになります。また、イギリスやフランス、中国においては、核兵器の削減という言葉は、まだ私どもは聞いていないわけであります。また、中東やアジアにおける核兵器の疑惑など、核兵器の脅威は決してなくなったわけではありません。最近、報道されている核物質の流失は、核拡散の危険を持っていると思います。
このような中で、長崎市といたしましては、あらゆる機会を通じて広島市とともに原爆展の開催、
世界平和連帯都市市長会議の活動、また国連が主催する
国際会議を通じて、
核兵器廃絶への願いを訴えてまいりましたし、今後も訴えていきたいと思っているわけであります。
私も、
平和宣言の中で「
核実験被害者に対する
日本政府の救済」を求めてまいりました。また民間の
平和団体が
被害地域の住民との交流を進められていることもよく承知をいたしております。私どもも長崎・
ヒバクシャ医療国際協力会をつくりました。これは
在外被爆者及び世界各地で発生している
被曝事故等による
被ばく者の救済のために、長崎が有する
被爆者治療の実績、調査研究の成果を活用し
国際協力に寄与することを目的として長崎・
ヒバクシャ医療国際協力会を設置いたしました。これは長崎県・市の医師会、長崎大学、
日本赤十字長崎原爆病院、
長崎放射線影響研究所、
長崎原子爆弾被爆者対策協議会、また長崎市、長崎県でつくり上げたものであります。このことを通じて、国外から医師等の
研修受け入れ、国外への医師等の派遣、国外からの
被ばく者の
受け入れ治療、
被爆者医療に関するデータの収集、分析、提供体制の整備その他をやっていきたいと思っております。このことについては、今後、これを充実拡大していきたいと思っているところであります。しかし、
核実験国の政府等は、実験による被害の存在を認めていないし、あるいは被害の実態に関する資料が少ないという現実があります。したがいまして、この問題につきましては、民間団体による交流をできるだけ支援しながら、今後も努力を重ねていきたいと思っています。
次に、
スミソニアン博物館の展示の問題でありますが、平成5年3月
スミソニアン協会米国航空宇宙博物館から「終戦50周年記念の
特別展示」に
原爆被災資料を借用したいとの相談があり、その年の11
月借用希望リストが届きました。
原爆被災資料は、
核兵器廃絶と世界恒久平和を願い、
貸し出しを行っているもので、長崎市
原子爆弾被災資料協議会の皆様に
貸し出しについて意見を聞きました。その意見を参考に次の条件を付して貸し出すことを了承いたしました。(1) 展示に当たって、「人類が生存するためには、核兵器は絶対に廃絶しなければならない」と見学者が理解するような展示であること。(2) 展示は、
原子爆弾の威力を誇示したり、正当化するものであってはならない。(3)
原爆被災資料はかけがえのない貴重なもので、人類への戒めとして残すべき遺産である。したがって、貴重に取り扱い、無事に返却することとの3項目であります。
しかし、最近の新聞、テレビの報道によれば、展示の企画について、
空軍退役軍人や一部の
下院議員から
博物館側に対し「原爆の被害を強調しすぎて日本を罪のない犠牲者と描いている。また、同じ場所に
原爆搭載機「
エノラ・ゲイ」を展示することは不適切」との反対があり、
博物館側も
展示内容の再検討を約束したと報道されております。
このことにつきましては、この館長のマーティン・ハーウィットさんが長崎、広島にもまいりまして、私も直接お目にかかりました。この方は、私は大変信頼ができる人だと思っています。15歳のときに難民として
アメリカに渡り、チェコのプラハの出身であって、戦争に対する考え方は、私と一緒だというふうに判断いたしました。そのときに、「もし
アメリカ政府から、この展示について具体的に圧力があった場合に、あなたはそれをどうするか」ということをお聞きいたしました。そのときに、館長は「そういうことがあったにしても、私の所期の考え方にはいささかも変わることはありません」と、そういうことを申して帰られました。
私どもは、その
展示内容がどうなるのか具体的に現在はわかっておりません。しかし、今後とも、長崎の被爆の惨状が正確に伝わり、
核兵器廃絶の願いが反映されるよう
博物館側とも協議したいと思いますし、そのための専門家も派遣することを検討しているところであります。
次に、
被爆者援護法の問題でありますが、ご承知のとおり、皆様方から「
原爆被爆者援護法の
早期制定に関する決議」等をいただいておりまして、皆様方のご協力を得ながら、原援協の陳情を初め八者協においても陳情書の前文の
基本的陳情趣旨の中に盛り込み、政府、国会等へ
被爆者援護法の制定を要望いたしてまいりました。また、
平和宣言の中にも、これまでも毎年、援護法の
早期制定を強く訴えてまいりました。8月9日の
平和祈念式典に参列された
村山総理大臣に対し陳情を行ったほか、本年も政府、国会等に対し、7月28日に八者協の陳情、8月31日に原援協の陳情を行ったところであります。
この問題につきましては、旧
連立与党の
原爆被爆者援護法に関する
プロジェクトチームが去る7月20日に最終会合を開き、来年度施行を目指す
被爆者援護法の大綱が決定されたとの報道がなされております。その性格は、さきに参議院で可決され、衆議院で廃案となった
被爆者援護法における「
国家補償の精神に基づく」との表現が、「
国家補償的配慮に基づき」となっております。
一方、政府においても、9月末召集予定の臨時国会での決着に努力するとの方針を打ち出し、また現
連立与党においては、戦後50年
問題プロジェクトチームを設置し、初会合が8月30日に開催されております。さらに
被爆者援護法問題専門チームを今後組織されると聞き及んでいます。8月31日の原援協陳情の際にも、同
プロジェクトチームの
地元選出議員から、
被爆者援護法制定の問題を最優先して処理する方針との決定を伺っております。しかし、なお具体策の決定までに至っていない状況であります。
いずれにいたしましても、
国家補償の精神に基づく
被爆者援護法の制定については、一般の戦災者との整合性などから合意に至っていないのが現状のようであります。しかし、被爆者の高齢化が進む中で、なお原爆の後遺症に悩んでおられる現状においては、
国家補償の精神に基づく
被爆者援護法の
早期制定こそ
被爆都市長崎の役割であると考えているところであります。
次に、水の問題につきましては、議員から水道局長という声もありましたので、一括してお答えをさせていただきたいと思います。
次に、
干ばつ対策でありますが、ことしは、平年値の半分以下という空梅雨に続き、梅雨明けが7月1日に繰り上げ発表されて以来、降雨量は7月に5.5ミリ、8月に31ミリと極めて少ない状況であり、25年ぶりの大干ばつとなっております。8月末現在の
被害状況は、果樹を中心にカンショ、ショウガ、里芋など1億3,000万円、
被害面積では64ヘクタールに上っており、さらに干ばつが続けば増大することは必至であり、長崎県全体では54億円に達しております。長崎市におきましては、野母崎町、三和町及び市内3農協と
長崎農業改良普及所と協議を行い、
長崎地区かんばつ等気象災害対策会議を設置し、農作物に対する当面の
技術対策を指導してまいりました。
一方、
用水確保のため県とも協議し、
大型揚水ポンプの
貸し出しやあっせんなどを行い農作物へのかん水に努力してまいりました。また、農家は緊急に揚水機の購入や
ボーリングを行い用水の確保を行っており、このため本市の対策として、2戸以上の農家が共同で行う
用水確保のための機械器具の購入、送水管の布設、井戸の掘削、
ボーリング等の工事に要する費用について、県が実施する
干害応急事業に一体となって助成を行いたく、今議会に補正予算の追加上程をお願いする予定にいたしております。
また、
下水処理場における処理水が農業用に活用できることから、関係部局との調整を図り、現在、東部・南部・北部及び
西部小江原下水処理場を開放し、処理水の利用が行われております。
なお、8月末から断続的に降った雨で作物も若干持ち直したものの、なお引き続き予断を許さない状況にあります。
次に、
アーバン構想における用地活用の問題でありますが、特に、
長崎港内港地区の出島・
常盤地区並びに
元船地区は、
先行実施地区として
ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想の中で位置づけており、
元船地区は、平成元年から
埋め立て工事に着手し平成4年4月に完了、出島・
常盤地区につきましても、現在護岸工事が行われ平成10年度に完了の予定であります。この間、
先行実施地区の土地利用につきましては、産学官を主体に51名で構成する
ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001
構想推進会議で検討しておりますが、より具体的な問題を総合的に検討・判断する
企画部会を9名の委員で構成し、
アーバン構想の諸問題を検討いたしております。この
企画部会には橋本助役が専門的な立場で参画しており、長崎市の意見を反映させるものと思います。今後は、この
企画部会での論議を中心に、
アーバン構想の推進が図られることとなります。
元船地区につきましては、
倉庫協会と県との間で2棟の
上屋倉庫を建設することで合意し、今年度は2棟のうちの平屋1棟と離島との交通拠点となります新たな
ターミナルビルの建設に着手しており、もう1棟の2階
建て倉庫の設計にも着手しております。また、倉庫の集約により生じた土地の利用につきましては、先ほどの
企画部会での検討や関係機関の意見をお伺いしながら、
集客施設のある賑わいの空間として整備していく予定であります。
常盤・
出島地区につきましては、平成4年度から5年度にかけて、市民各層を委員として都心部において緑と
親しみ水辺で憩える空間を提供するため、水辺の
プロムナード基本計画を策定いたしました。この計画は、産学官の委員14名からなる
検討委員会を設け策定されたもので、出島・
常盤地区に国道499号線に沿って水路を設け、隣接する
コンベンション施設との間に市民の皆さんが緑と水辺に親しむことのできる空間を配置する計画であります。
具体的には、
大浦海岸通りに面した倉庫群の跡地から
長崎税関前の海側に南北約700メートル、東西200メートル、幅12メートルから23メートルの水路を自然石での護岸で築き、水路沿いに遊歩道や水辺のテラスなどを設け、市民の皆さんや南山手・東山手を訪れる観光客の皆さんが
ウォーターフロントでくつろぎと楽しさを満喫できる
施設計画であります。事業化へ向けての予定といたしましては、県は平成6年度から7年度にかけて基本・
実施設計を行い、平成11年度に完成を予定いたしております。
さらに、昨年度実施いたしました
コンベンション拠点地区整備基本構想で
ウォーターフロント型のアーバン・リゾート・コンベンションを実現し得るアメニティの高い
都市空間を構成していくことといたしております。
産学官の20名の
検討委員会を設け調査検討されたもので、施設構成につきましては2,000人規模のメーンホールを持つ
コンベンション施設と付随する会議室及び展示場とさまざまな利用者のニーズに対応できるホテルが想定されております。
次に、旧魚市跡地の
尾上地区でありますが、現在は、県営バスの駐車場、イベント広場、住宅展示場に使われております。この地区は、過去に行われました調査等を県市で検討整理し、具体的な整備構想の策定を行うこととしております。今後とも、県と市の連絡調整会議において十分意見交換を行い、県市一体となって
アーバン構想の推進に努めてまいりたいと思います。=(降壇)=
5 ◯水道局長(藤井啓三君) まず、渇水対策についてお答えを申し上げます。
本市のデータとしては、先週のものでございますが、9月5日現在の貯水率は52.8%で、過去20年間の統計では、同時期の最低数値であります。また、貯水量は889万2,000トンで、単純計算いたしますと74日分に相当する量を保有しております。
ご承知のとおり、本市におきましては、昭和42年度からの第6回
拡張事業、昭和54年度からの第7回
拡張事業等によりダムの建設に努めてきた結果として、昭和45年以降現在まで
給水制限という事態は免れてきております。しかし、ことしのような異常気象のもと、このまま雨の少ない状態が続きますとダムの貯水も減少し、本市の水事情も決して楽観を許さないのであります。
既に実施しております佐世保市への支援送水に当たりましても、長崎市民の皆様に節水のご協力をいただき、この中で生まれた水を充てるべく各自治会長さんを通じ市民の皆様に節水をお願いしているところでございます。また、大口の使用者へも節水ステッカーの配布、市庁舎への横断幕や看板の設置など今後とも貯水の状況に応じ、適切に対処してまいりたいと考えているところであります。
次に、
水源開発と水供給の基本姿勢についてでありますが、ご質問にございました
中小水源の開発、特にダム以外の新たな
水源開発などにつきましては、現段階では、特に検討はしておりませんが、水の有効利用としては、当然視野に入れるべき対象であると考えますので、今後の研究課題としてまいりたいと考えております。
次に、再生処理水の活用としてご指摘がございましたが、下水道等の再生水や雨水などを水洗トイレや散水などに利用し、貴重な水資源を有効に活用しようとするものとして中水道というものがございます。この中水道では、水処理施設や配管など上水道とは異なる水の供給施設が必要となるため、これらの経費により利用コストが割高になるという、中水道が普及するために乗り越えるべき大きな課題がございます。
現在、本市の水需給計画では、下水道の普及で水の需要がふえてくるものの、平成10年度までは十分バランスがとれる計画でございます。その後につきましても、広域水道事業の実現に向け努力しているところであります。したがいまして、水道局としては、ただいまのところ中水道の取り組みはしておりませんが、今回の異常渇水によって水不足問題が深刻化する中で、国において、中水道の利用促進構想が浮上し、関係省庁間で具体化に向けて検討に入る動きがありますので、私どもといたしましても、このことを貴重な水資源の活用としてとらえ、今後の国の動向に注目してまいりたいと考えております。
以上でございます。
6 ◯原爆被爆対策部長(江口圭介君) 市長の答弁で抜けておったところを補足いたします。
まず、原爆展をどのような形で計画的に行っていくのかというようなご質問でございましたが、これは長崎の原爆展の流れと申しますと、3つの方式があるわけでございます。まず1つの流れとしては、長崎市が中心になって行います県内原爆展、それから県外原爆展、これが1つの流れでございます。それから2つ目の流れといたしましては、広島との共同で行っておりますヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会、この中で行っております国内・国外展。もう1つの流れとしては、57年度から62年度まで、国連主催による「核兵器-現代世界の脅威展」というような3つの流れがあるわけでございます。
まず、県下の原爆展でございますが、これは毎年大体7、8カ所を巡回しておりまして、各県下の自治体と共同して行っております。これは59年度から行っておるわけでございます。それから県外原爆展につきましては、平成6年度から戦災を受けました64の都市の中で協賛していただく自治体と共同で行っておるわけでございまして、今年度は3カ所の都市で行っております。それから、国内・国外原爆展でございますが、これはアピール委員会の事業でございますが、298の団体に549カ所で今まで行っておるわけでございます。
こういうことで、今後とも原爆展については、国内はもとより世界へ向けて写真展等を通じて核の脅威についてPRしていきたいというふうに考えております。
以上でございます。
7 ◯17番(中田 剛君) 一通り答弁をいただきましたが、再質問をいたしたいと思います。
核の問題について市長から答弁がございました。市長が、
核兵器廃絶の世論よりも、逆に言うと核軍縮の世論が非常に強いということを憂慮されておると、その姿というのが答弁の中ではっきり私は確認することができました。私も気持ちとしては、そのとおりでありますが、私は、これは戦後の核を巡る歴史、この流れに一つは注目していく必要があるというように考えています。
例えば市長等についてもご承知のとおりですが、戦後の流れの中では、いろいろな核実験の停止条約とか、部分停止条約であるとか、核の均衡論とか、凍結論、いろいろな形の論議が国際社会の中でも国内でも行われてきました。しかし、結果としてはどうだったのかという点を考えてみますと、結果は、核兵器の数が大型化をしてふえていく。この歴史が私は、戦後の歴史であったと思うんです。ここから導き出されてきたのが、結局、相手の国に対して核の優位に立とうという、こういう立場では核兵器をなくすことはできない。したがって、全面廃止というのを中心に立てて運動を強化すべきではないか。こういう世界の国々からの世論が注目をされるに至りました。
私は、実を言いますと、こういう中で世界の
平和運動というのが、必ずしも核兵器の廃絶を求めて今盛り上がっている段階にきていないなということを注目をしています。そういう点で、長崎は被爆地でありますし、同時に一つの地方自治体という限界はあるわけですが、被爆地としての役割を果たしていく必要があるんではないかというように考えているところです。
そういった点で、実は長崎市からも今の核兵器の例えば原爆展、平和展でもいいでしょう。こういう性格の展示がどのようになっているのか見た場合に、世界的な形でいきますと、前は5カ所、6カ所というふうにやられたんですね。ところが最近は大体年に1カ所という形に終わってしまっている。いわば広島、長崎が主体的にリードをして、計画をもって原爆展なり、平和展なりをやっていこうと、こういう姿がいま少し弱くなってきているんではないかということを感じています。
そういう点では、長崎市自身は先ほど言いましたように限界があると思いますが、年次計画等をつくって
国際世論を具体的につくっていくために貢献することができる。こういった具体的な構想、計画を持つべきではないかというように考えています。この点、ひとつ市長の見解をお聞かせいただきたいと思います。
さらに、そういった世論を具体的に形成していくために、私は、核実験の被害者の地域との連帯というのが非常に重要な問題になってきているんではないかというのを考えています。市長からも核実験
被害地域の状況は今るる話がありました。例えば世界的にもセミパラチンスクだとかネバダであるとか、マーシャル諸島であるとか、いろいろな所で核実験による被害者の組織が行われています。これは長崎原爆、広島原爆の実態もそうですが、まさに悲痛なものです。ただ、そのことが世界的には余りよく知られていないという現実があるのではないかと思います。こういった所との連帯をさらに深めていく、こういう点で
被爆地長崎の努力が、先ほど一定のお話がありましたけれども、さらに強化できないものかどうか。こういう点もひとつ見解として承っておきたいと思います。
それから、私は、
スミソニアン博物館の展示について、非常にこれは率直に言って心配をしています。長崎が求めるものは、核の脅威、核廃絶でありますから、その使われ方が今
アメリカのマスコミ会でにぎわわせているように、日本人だけが被害者意識を持っているとか、あるいはもし
アメリカが
原爆投下をしなかったら数百万の日本人の命が奪われていたであろうとか、いろいろな形での論法が使われて、その
展示内容が変更されようとしているという状況です。
私は、その辺は、長崎の精神に反することがないような形にしてほしいということを強く訴えておきたいと思います。それは事前に展示の調査その他に行く団体の経費が計上されておりますが、こういう方々は、いつごろ出かけられていくのか。その辺も含めて改めて検討する必要があるんではないかと思うんですが、その辺、見解があればお聞かせをいただきたいというように思います。
とりあえず、核兵器問題にかかわっての質問をいたしましたが、ひとつご答弁をいただきたいと思います。
8 ◯市長(本島 等君) お答えをいたします。
世界の指導者のほとんどが核抑止の考え方で貫かれておりますし、
日本政府もそういう考え方であります。核抑止というのは、核兵器を持つことによってのみ自分の国の安全が保たれるという考え方ですから、核軍縮がどんなに進んでも最後の核兵器は決して放さないという考え方であります。核兵器を持つことによってのみ自分の国の安全が保たれるという考え方でありますから。しかし、これまで日本で開かれた京都や広島の核軍縮会議においては、核軍縮がそれぞれ討議されて、
核兵器廃絶、
核兵器全面禁止条約の締結等については、それは今日的な課題ではないと、そういうような考え方が支配的であるわけであります。
来年におきましても、長崎において核軍縮会議を開くわけでありますが、そこでは長崎・広島の
核兵器全面禁止条約締結の主張と核軍縮の主張が2つ出てくるであろうということが想像されますし、しかも、NPT(核不
拡散条約)のお話が今ありましたように、5つの国の
核兵器廃絶の道しるべがはっきりしない。そういう無期限、無条件の核不
拡散条約が成立する可能性があり、その後の長崎市の会議ということになると非常に力がなくなるということも考えられます。
私といたしましては、このことを救うのについては、
日本政府がどうしても
核兵器廃絶をぜひ口にしてほしい。
日本政府の主張としてほしい。そういうふうに考えておりまして、この前から政府とも
村山総理大臣とも、とにかく日本の来年の会議においては、核軍縮そして
核兵器廃絶ということを主張してほしいということを申し出てまいりました。しかし、その結果は究極的
核兵器廃絶ということが政府の見解のように感じますが、そのことについては、今後、皆様方の力もおかりしながら、
日本政府の考え方を変えさせていきたいというふうに思っているところであります。
スミソニアンの問題は、
アメリカの現在の世論は、真珠湾攻撃は日本の奇襲攻撃であった。原爆を落としたのは正しかったという考え方が
アメリカの世論ですから、そのことに対して、私どもも真っ向からこの問題に対処しなければならないわけでありまして、それは原爆を落としたときのトルーマン大統領の演説が如実に物語っているわけでありますから、私どもとしては、そういうことについて、今後も
アメリカに対して、特に
アメリカの世論に対して、これを申し上げていきたい。私は、
アメリカにいくたびに真珠湾攻撃というのは、確かに日本の奇襲攻撃であるということからすれば悪かった。
アメリカの原爆はこれは人道上許しがたい問題で、
アメリカが悪かった。ということを率直に
アメリカでも申し上げてきているところであります。
この事前調査の問題については、担当の部長からお答えを申し上げたいというふうに思っております。
今後も、先ほどお話の問題については、努力を重ねていきたいというふうに思っております。場合によっては、来年の世界軍縮会議は、核軍縮に終始するとすれば、私どもは新たに
核兵器全面禁止条約締結のための
国際会議を何らかの形で広島・長崎が主催することも考えなければならないというふうに思っているところであります。
9 ◯原爆被爆対策部長(江口圭介君) 今後の
貸し出しに関するスケジュールでございますが、今のところ10月に被災資料協議会のメンバー、それとうちの職員が同行いたしまして、スミソニアンに、現地を見にいくという形にしております。それまでに、どういう形で当初の計画と変更があるのか、そういうものについてもつぶさに検討してまいりたいと思っております。
それから、11月に貸し出すか貸し出さないかの最終決定を行い、実際の
貸し出しは12月になろうかと思っております。
以上でございます。
10 ◯17番(中田 剛君) 時間が余りありませんので、ポイントを絞りたいと思います。
スミソニアン博物館への
貸し出しは、今答弁がありましたけれども、10月に調査団を派遣するということですから、この調査団の中に、性格づけが具体的にどうなっているのか。こういう点も把握をしていただいて、そしてその後、具体的に
貸し出し期限を決めるということですから、長崎市の態度を決定してほしいという点をひとつ強く要望いたしておきたいというように思います。
それから、全体として核兵器にかかわる市長の見解が示されましたが、私もほぼ同感できます。長崎が果たしている役割というのは、先ほどから指摘をいたしましたが、私は今回、特に原爆展にかかわって計画を持って、年次計画を持ってでも具体的に進めるべきであるという点を強調させていただきましたので、この内容についてのご検討をいただきたいということを改めて要望を申し上げておきたいと思います。
それから、
アーバン構想について見解を申し上げておきたいと思いますが、いろいろな意見がこれはあるわけです。実際、現実問題として直面をするときに、あの大事な長崎の港を埋め立てる時点から、つくられた用地の中にどういう建物が配置をされて、その建物がどういう役割を持って、そして全体として街がどういうように活性化をしていくと、こういうプロセスがあってしかるべきなんですよ。ところが、そういうのが全く示されないんですね。そういう点で、市民の皆さんは非常に不安がありますし、果たしてどうなっていくのだろうかと、そういう不安というのは強いんですよ。そうでしょう。
例えば
元船地区も完成時点なんですよ、倉庫群の問題が論議されたのは。そして余地ができたところにデパートを持ってくる等々の話があった。これがなかなかうまくいかずに、今日も賑わいのある集積ゾーンという形だけ残されているわけですね。具体的に何に活用されるかはわからないというのが今の実態でしょう。
尾上地区の問題だって、同じ長崎港に位置する貴重な土地として、私どもは重点的に、どういう施設を配置していくのか、まず論議を加えるべきだということを一貫して主張してきているんです。この辺は、絞った論議が行われるようですけれども、私は、全体として、その一体性、共通性、整合性に欠けているということを率直に指摘をしたいと思います。
ですから、この点では、今後の問題というのがまだあるわけですし、同時に、大波止地域には、長崎市有地としての倉庫群もあるわけです。そういった点も含めて、長崎の一等地であるわけですから、今後の活用方法を具体的にどうしていくのか。そういう点での検討を深めていただきたいというようにお願いをしておきたいと思います。時間がありませんので答弁は要りません。強く要請しておきたいと思います。
さらに、水道の問題、それから
干ばつ被害対策その他の問題ですが、最終的には、今日時点で具体的にどうするということはないけれども、特に水道の問題については、今後の研究課題としたいということでありますので、ひとつ誠意を持って研究を重ねてほしいというようにお願いをしたいと思います。これは水道局長も感じておられると思いますが、私もダムの水道行政をすべて否定するつもりはないわけです。しかし、逆に言いますと、今日の異常渇水の段階で、いわゆるダムがもたらしておる弊害というのもまたクローズアップされてきているのも事実だと思うんですよ。だから、そういう点、私が指摘している内容は、ご理解いただけると思いますので、ひとつ検討をこの点についても重ねていただきたいというように思います。
それから、
干ばつ対策でありますが、農作業者の方々の実態を率直に話をさせていただきました。ひとつこういう方々の声に率直に耳を傾けていただいて、関係する従事者たちが、長崎市もここまで頑張ってくれると、我々も頑張りがいがあると、端的にいうと、こういう努力をできるように長崎市の具体的な対策を要求しておきたいと思います。
以上、質問を終わります。
11 ◯副議長(重橋照久君) 次は、47番田川 勝君。
〔田川 勝君登壇〕
12 ◯47番(田川 勝君) 質問通告をいたしておきました水道行政について。
これは一般質問の初日、また今、同僚議員から質問等もございましたので、水道局長のご答弁は結構でございます。市長の今後の考え方ということにつきまして、市長のご答弁をいただきたいと思います。
まず、過去を思い、また現在を見詰めながら、将来どうであるべきかと、こう私は思うのでございます。
そこで、過去の問題について資料を見ながらお尋ねをいたしたいと思います。
ご案内のように、本市は、地形的にも水資源に恵まれない都市でございまして、特に市域の拡大等による人口の増加、さらには産業の発達、そういうことによって、水というものは絶対不可欠でございます。ところが、明治22年に長崎市が市制を施行されて以来、我々の先輩が今日まで大変ご苦労をされて、日本でも長崎市の水道行政というのは非常に古い歴史を持っているわけでございますけれども、いかんせん水源がない。こういうことで大変先輩方がご苦労をされてきております。
今日まで第7回の水道
拡張事業をやっておりますけれども、私は第5回の
拡張事業、要するに、昭和38年4月から議席を持って、大変先輩方のご指導を賜りながら、今日までに第7拡。これが先ほどの水道局長の答弁にもありましたけれども、「水はさほど心配しなくてもいい」と。しかしながら、今日では既に貯水量というのは52%にしか過ぎない。これを日にちで割ると72日分ぐらいしかない。これが25年前はどうであったか。これは皆さんご案内のように、特に浦上水系では2日に3時間しか給水をされなかった時代があったわけでございます。
そういうことを考えた場合に、今、我々の同県人であります佐世保市では、どういう状態にあるか。やはり私たちの先輩諸氏が、市長さんを初め歴代の水道行政の担当者であった方々、また、議会議員の方々のご苦労によって、今日、やっと長崎市もさほど心配をしないでいいようになっているのではなかろうか。しかしながら、今度の渇水というのは25年ぶりにやってきておるようでございます。今後25年後には、果たしてどうなるであろうか。そういうことを市長さん、我々は後輩のために心配がないようにきちっとしてやる義務があるんではなかろうかと思います。
過去において海水淡水化と、こういう問題もありました。海水を淡水化すべきだということで、これは通産省や科学技術庁の方へ当時の市長さんも出向かれるし、議会としても出向いてまいりました。「本市に何としてでも海水淡水化施設をつくってほしい」と、こういうことで随分運動をやってまいったわけでございます。
その結果、長崎市、さらには大分市、山口県、こういう所から手が挙がりまして、国といたしましては、立地的には非常に長崎がよろしいということから、長崎市のご当地出身の議員さんもいらっしゃるわけですが、飯香浦という所に海水淡水湖をつくろうと、そこまできたわけですけれども、そこで試験をされた水を東京の方へ持ち帰って、さらに検査をするというのに交通の便が非常に悪いと、まず空港の問題も当時挙げられました。非常に交通の便が悪いということで、最終的には大分市の鶴崎の方へ誘致をされてしまった。その当時、非常にコストが高いということで、やや消極的な面もありましたけれども、水にはかえられないと、少々コストが高くなってもやむを得んではないか。こういう話し等もあって、当時は、非常に市と県というのは仲がよかったとみえるんですが、長崎市と県、長崎市議会、この三者で強烈な運動を展開したわけです。ところが、先ほど申し上げましたように、立地的に交通の便が悪いということで長崎市は断念をさせられたわけでございます。
しかし、先ほど中田議員からも質問があっておりましたけれども、今後、ダムというものが、果たして水源がなくなったからダムをつくればいいと、そう簡単なものではない。
昨今では、長崎県下では石木の方の問題もありますし、いろいろ公害問題も発生しているということを聞き及んでおります。だから、今後はもう心配がない海水淡水化を考えるべきではないだろうか。
これは長崎県下では、ハウステンボスが開業されて、あちらは独自の施設として、海水淡水化施設をされている。長崎市内では、三菱造船所が海水淡水化施設をしておられる。こういうことで多少の水危機も乗り越えておられますけれども、やはり将来、未来永劫心配のないことを考えなければならない。
こういうことについて、海水淡水化というのは、当時非常に燃えておったわけです。これは昭和46年の4月1日には、長崎市の企画部に水資源対策室というのがありましたが、廃止をされまして、水道局に専任の参事と主査を置いて、長崎市水資源対策協議会の答申により長崎市海水淡水化調査会、そういうものもつくられたわけでございますけれども、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」とでも申しましょうか、雨が降って水の心配がなくなってきた。そうすると、いつの間にか海水淡水化というのは忘れられてきております。しかしながら、今後、海水淡水化ということについて真剣に取り組んでいかなければならない時期がくるのではなかろうかと思います。
それから、これを最後にいたしますけれども、昭和17年に食糧管理法というものが制定をされました。ところが、ご承知のように、米は代用食もありますけれども、空気と水というのは代用になる物がないわけです。
そこで、その当時、私の先輩議員でありました西崎議員を筆頭に水問題に取り組んでいただいて、我々もいろいろとご指導を賜りました。米に食糧管理法があるんだから、これは全国民が等しい価格で、要するに、米の価格というのは平等である。水はどうなんだろうか。水は水道管理者、要するに、長崎市であれば、連綿と大変お世話になっております大村の萱瀬、神浦、雪浦、いろんな行政区域外の方々にご迷惑をかけていただいているんですけれども、この施設費用というのは、国も何がしかの補助があります。県も何がしかあるでしょう。
明治22年に本河内高部水源地をつくられたときは、当時のお金で26万4,000円かかったそうでございます。ところが今日、昭和38年から第5拡、第6拡、第7拡と、この3つの水源を求めるために、何と621億4,770万円、それほどの費用を要しておる。水源がない都市は非常に苦しんでおります。こういうことについて、お米と同じように、水道にも水道管理法というものをつくっていただいて、国の
施策として、これをやっていただくべきではなかろうか。
こういうことで、米と同じように、水管法の制定ということを当時の議員さん、また当時の市長さん、水道局長さん、そういう方々にも同じ声を出して、国に対して声を大にした時代がありましたけれども、これとて今日では、過去の話というぐあいにほうむり去られてしまっておるような気がいたします。
市長さん、せっかくあなたは五選出馬を表明されたわけですから、市民に対して、被爆50周年のみならず、そういう問題にも取り組んでいくんだというご意思があられるかどうか、お尋ねをいたします。
本壇からの質問を終わり、また、ご答弁によっては、さらに自席から再質問をさせていただく場合もあろうかと思います。
どうも、ありがとうございました。=(降壇)=
13 ◯副議長(重橋照久君) 市長。
〔本島 等君登壇〕
14 ◯市長(本島 等君) 田川議員にお答えをいたします。
今お話がありましたが、昭和38年ですから、約30年間この議会におられたわけですから、この水の問題については一番詳しい方であるというふうに思います。
これまで長崎市がとってきた水道に対する努力、時代から言えば、田川市長さんとその時代、次に、諸谷市長さんとその時代。水道行政、そして議会、すべてが水について努力をしてきていただいた。それが今日の長崎市の水が何とか確保されている大きな原因であるというふうに思います。そういう田川議員も含めて先輩の皆さんに心から感謝を申し上げなければならぬというふうに思っておるわけであります。
私も長崎県議会に昭和34年からいまして、この海水の淡水化につきましては、その中で努力をいたしました。今、いみじくも田川議員が申されたように「のど元過ぎれば熱さを忘れる」で、必死に取り組むわけですけれども、どうしても単価が高い。「いや、それでもやるぞ」というと、雨が降って、そしてどんどん水がある。「それでもやるのか」ということになるわけで、その辺のところの繰り返しであったのではないかと、そういうふうに思います。水が十分あるときに高い単価の海水淡水化は、どうしても市民感情上、許されないという形のものが、今日の海水の淡水化を十分に発展させ得なかった問題ではないかというふうに思います。
ただ、今お話がありましたように、かつて水道事業経営健全化対策のために、長崎市の諸谷義武市長さんを中心に札幌、仙台、静岡、浜松、堺、東大阪、奈良、姫路、伊丹、宝塚、広島、松江、下関、高松、大分、佐賀、熊本、大牟田、鹿児島、佐世保と長崎市の21市が、市長及び市議会議長をもって構成する会議をつくって、水道事業経営健全化対策のための特別措置法の早期実現を目指して昭和49年1月に設立され、以来、全国21の加盟市が一体となって、ますます悪化する水道事業経営健全化の目標達成に向けて努力を重ねてまいりました。
その結果は、このことが十分に達成はしなかったわけでありますが、
水源開発は国の責任で行うこと、国庫補助の増額と補助対象の拡大を図ること、水道料金の格差是正と高騰を抑制するための財政援助の特別措置を講ずること、安定した用水供給が図られるよう広域水道圏計画の積極的推進に努めることなどについて努力を重ねました。この結果が、水道法の抜本的な改正につながりました。
今日の諸般の補助制度その他は、このときにできたわけでありまして、厚生省、自治省、全国市長会、全国市議会議長会、日本水道協会の方々の努力について、諸谷義武前市長が昭和52年12月の新聞にご報告をいたしているところであります。
私どもも今度の水の問題については全国的なものでありましたので、今お話のありますような、そういう運動が起こる、あるいは起こすきっかけではないかというふうに思っているところであります。率直に言えば、佐世保は水が非常に枯渇したということ、長崎は料金が非常に高いというようなことなどから、佐世保市等とも相談をして全国的な呼びかけができないものであるかどうか。そのことについて、今後努力をいたしたいと思いますし、議会の皆さん方にもご支援をお願いいたしたいと思うわけであります。
しかし、今日的には、この問題は社団法人日本水道協会に運動の拠点を移して、現在も水道に対する補助制度、繰り出し制度の拡充を目指し、同協会内の水道補助金対策委員会として、長崎市もその中の委員となって努力をいたしております。もちろん、これまでも九州市長会や全国市長会といった組織を通じて努力を重ねてまいったわけでありますが、このような事態になれば、私どもも特に佐世保市の問題も大きいものでありますから、佐世保市と十分に話し合いをして、それが全国的な呼びかけになれるかどうかについて検討させていただきたいと思っております。=(降壇)=
15 ◯47番(田川 勝君) ご答弁を賜りましたけれども、私は、いま少し市長の決意のほどをお尋ねしたかったわけでございます。
それぞれ呼びかけをし、特に佐世保市とはよく協議をしながらということですけれども、いずれかまた長崎が企業誘致をやり、本壇からお話はいたしませんでしたけれども、現在、下水道がやっと50%ちょっと超したぐらいです。下水道の使用水というものもばかにならないと思います。そういうことになってまいりますと、現在1日に15万トンぐらいの水を使っておるわけですが、産業の発展、それから下水道の整備が促進してまいりますと、長崎の水で果たして間に合うのだろうか。文化生活が営まれるにつれて、どんどん水道の使用量というのはふえてまいるわけであります。
そこで、水資源をどこに求めるか。先ほど申し上げたように、海水を淡水化してでも、長崎にはこれだけの水があるんだというようなことを考えていかなければならないのではなかろうか。
それから、水管法の問題。今食糧管理法を国はぼつぼつ廃止するというようなことも耳にしておりますけれども、何とかこの水道管理法というものを)──それは反対する都市も随分あるでしょう。先ほど21市のお名前がありました。私が持っている資料の中にも21市の名前がちゃんと載ってはおるんですけれども、そういうものを羅列するのを控えたわけですけれども、その当時の意気込みというものは、市長も私が申し上げたように、のど元過ぎればと──水がないときには「節水してくれ、節水してくれ」とお願いをする。雨がどんどん降ると「水を使ってくれ、使ってくれ」、水道の蛇口をひねってもらわないと水道会計がどうにもならない。これが企業会計の痛いところだと思いますけれども、「備えあれば憂いなし」というようなことを考えていくには、いろいろな水資源の確保、さらには、全国どこでも料金は平等であると、こういうことで市長の決意のほどをいまひとつ、ぜひそれだけはやりたいと、非常に難しいことだということはわかります。
市長さんも岐阜市にはたびたびお行きになると思いますが、岐阜市というのは水道会計が赤字を出して困っている。水は豊富な所なんです。これは長良川がありまして、地下水が一番簡単な所では2メートル掘ったら水がわいてくるそうです。上水道を引いているのは、ポンプが故障したときに必要だということで上水道をつけている。だから、ほとんどの所が規定料金でおさまってしまっている。そういうぐあいに、水があって赤字を出している所もあります。
いろんな所もあるようでございますけれども、私は、水道管理法を一日も早く、そういう面の呼びかけをしていただいて全国統一した価格にしていただきたい。長崎市は現在、先ほども申したと思いますけれども、1,900ぐらいある水道企業の中で、今500番目ぐらいだそうです。水道料金が高いところで。しかしながら、人口的な類似都市でやりますと、長崎はワン、ツー、このあたりにいるそうでございます。1番目か2番目に高い。それは市民が負担をしているんです。
私は、自分の個人的なことを申し上げて大変失礼ですけれども、私が家計のすべてを切り盛りをしなければならない時期が、今から8、9年前にありました。そのときに新聞代の支払いから水道料金の支払いと、いろんな支払いをしてびっくりしました。「お金がこんなに要るものか」と、本当にびっくりしました。
そういうことを市長さんも考えながら、市民の負担というものを、全国平等であれば何も言わないんです。長崎だけが高いということになればそういうことになります。どうかひとつ水道管理法というものは立法の府でできるわけですから、長崎市選出の国会議員さん、いろんなそういう県出身の国会議員さん方に呼びかけをして、これを何が何でもやり遂げる。私どもの先輩の考え方、
本島市長さんの先輩の市長さん方、県の方々もそれを考えておられるわけです。平和も大切です。それはわかります。しかしながら、それもまた大切なことだと思います。
一時は、この水道管理者を県にお願いしようではないか。港湾管理のように県に管理をしてもらおう。県は恐らくノーと言うでしょう。これほど赤字が出るのなら。これだけ負担がかかるなら。だから、そういうものを解消するためにも、ひとつ水管法なるものに努力をするという意思だけでも、この場でお示しをしていただきたいと思います。
16 ◯市長(本島 等君) お答えをいたします。
長崎市としては、これまで努力を重ねてまいりましたし、私が市長に就任してからも鹿尾ダムあるいは鳴見ダムができ上がったわけでありまして、ただいまは水害緊急ダムの事業として中尾ダム及び雪浦第2ダム建設をはかっているところでありまして、長崎市の通常の計画からすれば平成10年度までには水需要の確保を図るということに計画上はなっているわけであります。
平成11年度以降は、長崎市を初め諫早市など県南部の2市7町で長崎県南部広域水道推進協議会を組織しておりますが、参加の市と町へ水道用水を供給する企業団の設立に向けて努力をいたしておりまして、平成11年度以降の
水資源確保については、ここから受水する計画であるわけであります。
今お話の水管法をという話でありますが、これは私どもがまず十分に研究し、そして可能であるかどうかをまず考えなければならないと思います。全国的には、水の供給体制が一本化されたとしても、直ちに水の総量がふえるということにはならないというふうに思うわけでありまして、そのあたりをどうするか。私どもはみずからまず考えながら、現在の水事情からすれば、まず佐世保市と長崎市が協力し合って何かができないか。全国的な呼びかけができないか。もちろん、市長会等を通じ各選出の国会議員さんたち、あるいは県その他にも相談をしながら、その問題にどう取り組むかということをまず検討しなければならない時期ではないかと、そういうふうに考えているところでありまして、私がここで決意のほどを申し上げるということにはならないのではないか。
そういうことができ上がったときに、皆様方とも協力しながら、私どもが進むべき道を求めるということになるのではないかというふうに思います。
17 ◯副議長(重橋照久君) 休憩いたします。
午後は1時から再開いたします。
=休憩 午前11時30分=
───────────
=再開 午後1時15分=
18 ◯議長(中田勝郎君) 休憩前に引き続き会議を開きます。9番井原東洋一君。
〔井原東洋一君登壇〕
19 ◯9番(井原東洋一君) 日本社会党の井原東洋一であります。
今回は、市長の政治姿勢、ごみ処理施設の土曜日開場及びいこいの里ゴルフ場建設計画の見直しについて質問をいたします。
まず、市長の政治姿勢。
1番目に、国際的役割の自己評価について質問いたします。
広島に続いて長崎にも原爆が落とされた事実を知らなかった外国の皆さんに「長崎も被爆地ですよ」と声高に叫び続け、広島と並んで世界じゅうに
被爆地長崎を認識させた市長の治績は評価に値するものだと私は思っています。
地方自治体の長による海外出張や外国からの賓客との対応を自治体外交というのかどうかわかりませんが、市長の活発な発言と行動は、センセーショナルな2つの事件とそのことに関する過熱報道とに相まって、平和市長の名声が国内外に定着していることは事実だと思います。国内ではこの1年間に、日本共産党を除くすべての政党が与野党を経験するという激変の中にありますが、平和勢力の中核を任じてきた我が日本社会党の内部矛盾の拡大と基本姿勢の転換とのかかわりもあってか、平和の概念そのものについても国民意識に変化があらわれつつあることを私は感じ取っています。
侵略戦争に関する加害責任の歴史観の欠如、非武装と核廃絶を究極のかなたへ追いやってしまう時代認識、被爆者を一般戦災者と同一視として援護法の骨格である
国家補償の精神を抜き去り、法そのものの制定を阻もうとする政情と、これに同調する一部国民意識の傾向、さらに、国際貢献の名のもとに自衛隊の海外派兵を常識化し、国連安保常任理事国入りを加速しようとする風潮等は、戦後50年を境にして、国家そのものの方向を再び誤らせるのではないかとの大きな危惧を感じさせられます。
今、
連立与党内においては、戦後50年問題を検討するプロジェクトが設けられ、長崎県選出の虎島代議士と田口代議士は、その重要なポストに就任されており、被爆体験を持ち、何よりも平和を希求する国際文化都市長崎の市民は、ぜひ私たちの願いを酌み上げていただきたいと、大きく期待されているものと思います。
そこで、
世界平和連帯都市市長会議の提唱者でもある
本島市長に質問いたします。ア.これまで4期に及ぶ任期中に、あなたが果たされた国際的活動は、長崎市と市民にとって、どのような面でよい影響と結果をもたらしているかを、平和行政と国際交流との観点から、自己評価の上で表明していただきたいと思います。
イ.次に、朝鮮半島情勢は、我が国にとっても、アジア並びに世界との関係においても大変重要な問題でありながら、朝鮮民主主義人民共和国との国交がいまだに回復されていない実情と、金日成前首席が死去された現段階では、なおさらに危機的、不安定的側面のみが伝えられていることは否定できません。
長崎は、朝鮮民主主義人民共和国とも至近の距離にあり、日韓知事サミットが継続されていることにも学んで、「近くて遠い国から近くて親しい国」への開拓に積極姿勢を示さなければならないと思っております。そのためには交流を活発に行い、真実を知って相互信頼を深めることであります。かつて、市長は「韓国へ行ったら北朝鮮へ行きたい」と言われていたようでありますが、現在の心境をお聞かせください。
ウ.3つ目は、与党・戦後50年問題プロジェクトの検討課題で、市長がぜひとも取り組んでほしいと考えておられる問題を5点ほど挙げてほしいと思います。
2番目に、市政推進面での自己評価と問題点についてであります。
市長は、たしか多選反対で立候補されたかと思いますけれども、3期目に就任されるや、数多くの基本構想や調査を予算化され、四選目では、県や10大都市並みの大型施設を次々に建設着工されて、素人目にも後年度負担はどうなるのだろうかと心配されるほどであります。すなわち、いわゆるハード面での施設整備と計画は目を見張るものがあると言えましょう。しかし、ソフト面では果たしてどうか。その
施策は充実していると言えるのでしょうか。福祉、教育、芸術文化、スポーツ振興、農林漁業、中小企業等産業の振興と人口増、快適環境の保全、人づくり、民度の安定、住みよい長崎づくり、そして財政運営など多くの面で、これこそ長崎が他都市に誇り得るものだと自信を持てる行政モデルを幾つか認識しておられるとすれば、それはどんな
施策なのか。これも自己評価の上、明らかにしていただきたいと思います。
そして今、市長職として四期目、総仕上げのときに際し、反省と自戒すべき問題点は全くなかったのかどうか。もし感ずるところがあられるとすれば率直に表明されてはいかがかとお伺いいたします。
次に、ごみ処理施設の土曜日開場についてであります。
今議会における13名の質問通告者のうち半数を超える7名がごみ問題を取り上げ、うち4名は明確にごみ処理施設の土曜日開場を求めており、それだけ事態の深刻さを物語っています。
私は、このごみ問題は、水道や下水道、し尿処理問題などと同じく、衛生的で安全・快適な市民生活を送る上にいっときも揺るがせにできない課題であると認識し、3月定例市議会以来、今日まで重点的に取り組み、特にごみ処理施設の土・日連続閉鎖は他都市にほとんどその例がなく、生活衛生上及び環境保全上からもゆゆしき事態であり、行政不信を招くおそれがあることを訴えてきました。また、そのために市内の団体有志の皆さんとともに長崎市ごみ問題対策協議会を組織し、市長に対し、7月9日の本格移行以前の方針変更を再三にわたって求めてきたのであります。しかし、市長は、市民の切実な要望を無視してこれを強行され、今日、丸2カ月を経過いたしました。
ここで若干経過を振り返りますが、本年3月22日の環境経済委員会で、長崎市廃棄物の減量及び適正処理に関する条例にかかわる総括質疑の折、ごみ処理施設の土曜日開場を求める私の意見に対して、当時の環境事業部長は「利益追求目的の事業者のために大切な税金を使って土曜日を開けるわけにはいかない」との趣旨の暴言を吐き、大先輩の田川 勝議員から「利益追求目的とは開き直りだ。例えば病院や市場などは単純利益の追求だけではない」などと厳しく叱責され、それに対する答弁の中から、いわゆる「十分周知が得られない場合の特例の措置」発言が引き出されたのであります。
そのこともあって、日本社会党、民社党及び公明党は、それぞれ要望を付して条例案に賛成し、日本共産党は反対されましたが、賛成多数で委員会可決となり、あの文言が委員長報告に取り入れられたのであります。
私は、前環境事業部長のあの発言は、さまざまな形で市民の健康や安全や消費生活を支えている中小零細事業者等の事業活動の中から発生する日々のごみを、しかも有料で搬入しているのに、実情を十分に把握することなく、一方的に批判して受け入れを拒否するという目先の業務処理中心の姿勢のあらわれであり、これが市民の快適生活を委ねている責任者の考え方であろうかと強い憤りを禁じ得なかったのであります。
したがって、前回6月定例会における質問の冒頭で、新しく就任された浜崎部長に、環境事業部長として市民の福利向上にどのような考え方で臨まれるのか、その決意を聞くつもりでありましたが、言葉足らずで誤解を招き、発言の一部を取り消さざるを得なかったのは、まことに残念だったと思っております。しかし、浜崎部長も前部長の考え方を忠実に、実に見事に引き継がれ、今日に至ってもなお「ごみの保管は排出者の責任だ」「土曜日を閉めても何ら問題は起こっていない」「開ければ1億円かかる」と繰り返し、市長もまた「下からの報告では方針を変える必要は生じていない」との態度に終始し、市民の怒りの声に耳をふさぎ続け、目を開こうとされないのであります。
ごみの処理は、地方自治法第2条第3項第7号に規定される自治体がやらなければならない公共事務であるのに、長崎市のごみ行政は、そこから離れた環境事業として、見方によっては、専ら業務面重視の労使問題の枠内に封じ込んでしまっているのではないのかと、改めて思い知らされるのであります。この上は公害や環境保全や美化や生活衛生問題などと深く十分に連携が取れる環境対策を真剣に考え、実行できる組織へ抜本的改革を図らなければならないと強く指摘せざるを得ないのであります。
法に基づく組織である清掃審議会への諮問に際しても、法律用語でもなく、単に労使間で使用されている慣用語にしか過ぎない「収集体制」の変更の中に土曜日閉鎖も含まれるなどと称し、追及されると「収集体制とは、収集・運搬・処理までを含む一連の体制だ」などとひとりよがりの解釈で事を押し通そうとする姿勢であり、強く反省を求められなければなりません。
そこで、市長に質問いたします。1つ、ごみ処理施設のすべてを土曜日に閉鎖するという他市に類例の少ない考え方の根本的理由は何ですか。
2つ、開場すれば1億円かかると言われますが、では、幾らまでなら開くのですか。
3つ、事業系ごみ処理は排出者の責任と言いながら、市が直営収集などで特定の事業者に利益を与え続けている理由は、一体、何でしょうか。
3番目に、いこいの里ゴルフ場建設計画の見直しについて質問いたします。
全国のリゾート計画のうち60%が計画中断に追い込まれているといわれており、ナガサキ・エキゾティック・リゾート構想も基本構想承認から6年目を迎えていますが、計画の35%が難航していると報告されており、佐世保でも諫早でも野母崎でも、ゴルフ場計画中止が県に申し入れられています。大分県三光村では、借地トラスト運動によってゴルフ場の開発が中止され、自然が残されました。熊本県五和町では、西武と結んだ用地買収事務委託契約書が町に重くのしかかっており、遂に町長は辞職しましたが、銀行借り入れで支払った買収代金14億6,000万円の借金と虫食い状態の土地が残され、リゾート法に翻弄された地方自治体の姿を無残にさらしています。大村市の市長逮捕も、その根源にはゴルフ場建設をめぐる疑惑が取りざたされているようであります。
市長が頼みとされる飛島建設は、先般、植良祐政元名誉会長と長男の元副社長総一郎氏が有罪判決を受けました。市長は、昨年12月7日、この役員の在宅起訴時に5カ月間の指名停止処分にされ、本年6月31日に、これは船舶振興会疑惑に絡むものですけれども、再び5カ月間の指名停止をされましたが、多額の負債と経営難、そして社会的信用を失っている現況にあっても、なお飛島建設との二人三脚を続けられるおつもりでしょうか。
昨年12月9日の本会議における私の質問に対して、市長あなたは「94年3月をめどに開発許認可の手続きを終える予定だが、それですべてが整ったとするのではなく、その時点でいま一度、採算性など再検討して進みたい」と、手続き終了後に計画を見直す考えを示されました。
今、全国の状況からしても、あるいは長崎県下の実情から見ても、式見のたぐいまれな自然を壊してまでゴルフ場を建設しなければならない理由はなく、市長が繰り返し述べられる地域振興に関して、ゴルフ場での成功例があるならば、ぜひ具体例を挙げて説明してほしいものであります。
また、長期にわたって収支安定型とか言われていますが、式見のゴルフ場における経営収支は、私は成り立たないはずだと思っております。この点、専門機関に委ねてでも、ぜひ議会にも結果報告を行われるよう求めるものであります。
また、買収予定地については、既に大部分が購入済みだと思いますが、現在の棚卸価格と今後の取得、あるいは処分方法についての考え方を示していただきたい。
また、進捗の大幅なおくれの主な原因、許認可がおくれている理由と、その結果責任はだれが負うのか、明らかにしていただきたいと思います。
以上、壇上からの質問を終わります。=(降壇)=
20 ◯議長(中田勝郎君) 市長。
〔本島 等君登壇〕
21 ◯市長(本島 等君) 井原議員にお答えをいたします。
最初に、市長の政治姿勢について申し上げます。これまで4期に及ぶ任期中に果たされた国際的活動が長崎市と市民にとって、どのような面でよい影響と結果をもたらしているかを平和行政と国際交流の観点から自己評価をせろということであります。
私は、特に
核兵器廃絶、平和の問題については、皆様方のご理解のもとに世界の各地を回りました。そしてまた、日本の各地においてもいろいろお話をしたり、また、特に
平和祈念式典においての
平和宣言など推し進めてまいったわけでありますが、私としては、長崎市が平和都市、原爆都市として世界的に認められてきたと、そのように考えているところであります。また、国際交流の面といたしましては、もちろん姉妹都市、友好都市との問題等もありますが、長崎を訪ねて来る外国の方々も非常に多いわけでありまして、私は、そういう面においても、長崎市と諸外国の親睦といいますか、親しさといいますか、そういうものは、日本の外交を補完する意味においても進んできたのではないか。
ただ、自己評価ということになりますが、私にとっては余りに大きな問題でもありますので、そしてまた、私が自己評価いたしましても、それは皆様方にとっては、それほど参考になることでもないと思いますので、一生懸命やってきたということについてご理解をいただきたいと思っております。
次に、朝鮮半島情勢でございますが、私どもも今日の朝鮮民主主義人民共和国のことについてはいろいろ心配をいたしておりますし、特に、すぐ隣の国でもありますし、南と北とに朝鮮半島が別れているそもそもの原因の一つは、日本がつくった原因でもありますし、できる限り親睦をし、早い機会に平和条約を結んで、そして私は、朝鮮民主主義人民共和国と仲よくしていきたいというふうに思っているわけであります。
そもそも38度線というのは、
日本政府がかつて、南は朝鮮軍の指揮下、北は関東軍の指揮下ということで38度線をつくったというのは日本でありますから、私といたしましては、そういう面でできるだけ朝鮮半島が一体化した形でアジアの諸国が仲よくしていくことが望ましいと思っております。
特に、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者の問題について、朝鮮民主主義人民共和国にお伺いしたいということは、私のかねがねの願いでありました。ご承知のとおりのいろいろな朝鮮民主主義人民共和国の国内事情やあるいはその他の事情もありまして、私は行くことを控えておりましたけれども、できるだけ早い機会にお伺いして、被爆者の皆さんのお見舞いや激励あるいはそのほかのことについて私どもができることはないか。そのようなことをやってみたいというふうに思っているわけであります。
次に、与党・戦後50年問題プロジェクトの検討課題で5つのことを挙げろということでございますが、
被爆者援護法の問題は、そのうちの第1番目ではないかというふうに思います。
また、非核三原則の立法化は、日本がプルトニウムを大量に貯蔵することから、世界の国々が、日本が核兵器の武装をするのではないかという疑いを持っていると思います。そういう意味において、日本は決して核武装化をしないということで非核三原則の立法化をぜひお願いをいたしたいというふうに思っております。
第3番目としては、先般来から我々が非常に心配いたしました「原爆が
国際法違反ではないのではないか」という政府の見解に対して、私は、非常に大きな違和感を感じるわけであります。原爆は、人間がかつて考えたことがない残虐な兵器でありますから、私どもは「原爆は
国際法違反である」ということを強く主張し、政府としてもその線に従って対外的にもそのような形で進んでいただきたいというふうに思っています。
次は、いろいろありますが、従軍慰安婦の問題、あるいは台湾の方々に対する郵便貯金などの問題、あるいは近ごろ有名になりましたボルネオにおいては2万5,000人とも5万人ともいわれる兵補を募集して日本軍と同じような働きを長い間させて、そして、それに給与その他を一切払わずに解散命令もしていないということがありますので、そういうことも含めての何らかの補償を考えなければならないのではないかというふうに思っております。
そしてまた、第5番目としては、国会等において、もう再び核戦争を起こさないし、戦争を起こさないという、そういう不戦の決議等ができれば私は非常にいいことではないかというふうに思っているところであります。
次に、市政推進面での自己評価、問題点でありますが、実は私は、ハードな面では、市長は余りやっていないのではないかという批判を受けているわけでございます。今お話のように、ハードの面では目を見張るものをやったというお褒めをいただきまして非常に感激をいたすわけでございますけれども、これまでは大水害等の問題もあってなかなかハードな面に力が注げなかった。また、長崎の特殊な事情によってもハードな面になかなか進むことができなかった。しかし、総合運動公園の前途が何とか見えてきましたし、また、児童科学館あるいはプラネタリウムも何とか着工することができるようですし、また、文化情報交流施設にしても、いま一歩というところでありますし、また、国際文化会館の建て替え等も実に緒についているということであって、私としては、何とか私の時代に幾らかでも、そういう都市施設をつくることができるということについて希望を持っているわけであります。
だだ、お話のように、福祉、教育、芸術文化、スポーツ振興、農林漁業、中小企業あるいは快適環境の保全、人づくり、民度の安定、いろいろお話をいただきました。福祉等については、できる限り努力をしたつもりでありますが、高齢化社会を控える我々としては十分ではなかったというふうに反省をいたしております。また、人間があるいは都市が成熟化して、いよいよ都市に最後に何を求めるかといえば、それは文化、芸術、スポーツであろうというふうに思いますが、その面についても完璧に十分だったということは決して考えておりません。これからいささかなりともスポーツの例えば総合運動公園や南部の運動公園あるいは東部の運動公園その他いろいろありますが、今後も努力をしなければならないというふうに思っております。
農林業と漁業については、これは都市の基礎的な問題でありますので、私としても目に見えない形であっても、農林業と漁業については努力をしてきたつもりであります。
中小企業等については、今後も特に地場産業の振興等について努力をしていかなければならないと思いますけれども、なかなかすばらしい策が見つかりません。ただ、この前も申し上げましたように、人材の養成ということをもっと大々的に、そしてまちづくり、人づくり等活性化のために進めていかなければならないというふうに思います。